言葉を探す美鶴の態度に、綾子がフフッと笑った。
「別にいいわよ。警察に通報して補導しようなんて思ってないから」
まぁ、綾子ママがそんな事をするとも思えないけど、本当なら咎められてもおかしくないよな。
「えっと、いろいろ事情があって」
「で、しょうね。こんないきなりやってくるんだから」
その時、裏口の方で声がする。きつねうどん二人前、到着だ。
「あら、意外と早いじゃない」
綾子はひょいっと立ち上がり、いそいそと裏口へ歩いていく。
今度こそ手伝わなければならないだろう。美鶴も慌てて後を追った。
「ですので、返事が遅れた件に関しましては、華恩様は特に気にはしていらっしゃいません」
午前中での授業が終わり、席を立ったところにやってきた来客。周囲を威圧するような女子生徒の登場に、教室内は一瞬静寂に包まれすらした。
女子生徒はそんな周囲には目もくれず、スタスタと瑠駆真の目の前にまでくると、簡潔に名前を告げた。
知らぬ名だった。顔も知らない。だが、廿楽華恩の名前を出され、思わず軽く眉を動かしてしまった。
教室の隅で、女子生徒たちが囁く。再来週行われる生徒会選挙で、次期生徒会副会長に使命されるであろう二年生なのだそうだ。なるほど、教室内を威圧するその態度。納得だ。
「華恩様がお出しになられました、唐渓祭に関するお誘いの件ですけれども」
瑠駆真の態度などお構いなしに、相手は用件を勝手に話しだす。その、まるで台本でも読むかのような相手の言葉には口を挟む余地もなく、結局瑠駆真は一言も発せぬまま最後まで聞くハメになった。
「山脇くんは、お返事が遅れてしまった事を後悔なさっているかもしれませんが、華恩様は全くお気になさってはおりませんので」
「それはどうも」
ようやく途切れた言葉の合間に、瑠駆真はなんとか一言を滑り込ませる。
返事が遅れて憂慮している? この僕が?
思わず笑ってしまいそうになる。
廿楽華恩。どこまでも狡猾な人間らしい。
だが瑠駆真は、そんな心内などおくびにも出さず、瞳を揺らしてゆったりと笑った。
「それはよかった」
まるで、華が咲いたかと思うような優しい声。相手の少女が一瞬気後れしたのに気付かぬふりで、瑠駆真は続ける。
「その心遣いには感謝するよ。さすがは副会長だね」
「い、いえ、これは人間としては当然の嗜みであって」
別に自分が褒められたわけでも感謝されたわけでもないのに、軽く動揺する少女。瑠駆真は内心で舌を打ちつつ、大きく一回頷いた。
「ならば、僕もそのお気使いに答えなくてはならないね」
そう言って、すでに持ち物を仕舞い込んだ鞄を持ち上げる。
「これから返事に伺うよ」
「え? これから?」
瞠目する相手に瑠駆真は涼しく答える。
「ここまで遅れてしまったんだ。紙っぺら一枚で返答というのも失礼だろう。直接伝えるのが礼儀だろうからね」
それとも、と鞄を脇に抱えて小首を傾げる。
「これからというのは失礼かな?」
女性にはいろいろと支度もあるか? と問う瑠駆真の言葉に少女はハタッと我を取り戻し、慌てて携帯を取り出した。
「す、すぐに華恩様へ連絡してみます」
言いながら慌ててしまい、なかなか操作できない少女。その手元を、瑠駆真は目を細めながら見つめていた。
もう後戻りはできない。
グッと拳を握り締める。
美鶴、僕が必ず君を助けてみせる。こんな、穢れた偏屈な世界から、君を救い出してみせるよ。
瑠駆真は誰にも気付かれぬようにチロリと唇を舐めた。なぜだか胸が軽い。
どうにでもなれという開き直りか? それとも、運に任せるしかないという諦めか?
運? いや違う。
瑠駆真はキッパリと否定する。
これは運や偶然なんかに結果を委ねるような事じゃない。ギャンブルや賭け事のような、采配の行方がどちらに転ぶともわからない曖昧な行動ではない。なぜなら、結果はすでにわかっているのだから。
そうだ。結果はわかっている。後はただ、その結果を受け入れるだけの事だ。
瑠駆真は瞳を閉じた。
結果はわかっている。後はただ、僕が一歩を踏み出すだけ。
瑠駆真はもう一度拳を握り、泰然と瞼を動かし、そして流麗に、その円らな瞳を煌めかせた。
「で? 美鶴ちゃん、どうしたの? こんな突然」
うどんを一口啜り、綾子ママがチラリと美鶴へ視線を投げる。
うぅ 遂に来たな。
|